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まちらぼのちょっとここだけの話vol.68

「ぼくにとってのまちづくりらぼ」


2017年9月末、糸魚川に移住しました。

こんなに長く住んでいる新潟県内で初めて来た場所。

移住するきっかけになったのは2016年12月におきた糸魚川駅北大火

大火からの復興、そしてまちづくりがミッションでした。


糸魚川市が掲げた「復興まちづくり」を業務(仕事)として受け、被災地の最前線に設置した行政サテライト「復興まちづくり情報センター」に席を置かせてもらい、まちの概要、人と人の関係性、商店街の実情、被災地以外の市内の人の想い、などを少しずつ見聞きさせてもらう。そしていろんな会議にも出席させていただき様々な人とも面識を持てた。と同時に感じる違和感。


僕は仕事柄、被災地(自然災害によって被害を受けたエリア)に行く機会が多く、被災直後の復旧支援をさせていただくことが多い。そこで感じる「なんとかこのまちを復興させたい」という地元若者たちのすごい熱量を様々なところで感じてきた。


今思えば、まちのいたるところにその熱量はあったはずなのに、未熟な僕は当時見つけらず、その熱量をこの地でなかなか感じられないまま1ヶ月が過ぎていた。

このまちの将来をどのように描き、そこに関わる「ひと」をどうやって巻き込み、そして繋いでいけるのだろうか。悩みに悩んでいました。


そんなある日ふと思ったんです。

「まちとか人とかに縛られず、もっと自由に自分らしく楽しめれば」と。

漠然でしたけど、何か確信めいたものもあったなと。


そこからの仲間集めはものすごく簡単でした。

(誘ったメンバーの皆さん「簡単」とか言ってごめんなさい笑)


いろんな会議や打ち合わせに出席した時に「この人となら感性が合いそうだ」「この人おもしろいな」といった、独断と偏見で現メンバーに声をかけました。こんなおもしろいメンバーなので、もちろん即OKの返事をもらいましたが、皆が口をそろえて言うのが「なにがしたいの?」でした。その通り・集めるのはいいけど、そこから何をするのか。

考えました。僕がまずやりたかったのは、大火から1年が経つ2017年12月22日に復興イベント(後に復興イルミネーションを実施する)を開催したかったのですが、それだと、開催後に目的達成という事で解散の流れになってしまう。もっと意味のある、メンバーの得意分野を生かした、継続して活動していける「目的」は作れないかと、、、

そこで思いついたのが、今回は僕のやりたいことを応援(ヒト・モノ・カネ)してもらう。次はほかのメンバーのやりたいことを応援しあうといった、「みんなのやりたいを応援しあう」を目的にしました。そうすることで、活動の意味や連続性、協働しあいながら結果的にまちづくりにつながるじゃんと。


そこから数々のイベントを実施し、小さな子どもたちから、中学生、高校生、商店街、企業を巻き込んでいきました。


「自分のやりたい」が共感を生み、その点から点へ、そして面のつながりになっていく。それがまちの愛着につながってまちづくりという本質的なところに行きつくのかな。


僕にとっての「まちづくりらぼ」は、その名の通り「まちのミライを描く研究所」だったと思います。(いや、移住して1人で寂しい僕の友達作りの場だったかも。笑)


この場を借りて、

「まちらぼ」のメンバーのみんな、めちゃくちゃな誘い方、好き勝手な企画、いつも自分だけが楽しむようなふるまいの僕のわがままにつき合ってくれてありがとう!!


大火後のこのまちに、今まで見せなかったような顔ぶれが溢れかえっているきっかけを作り出せたのは、まちがいなく皆さんのおかげです。


そして、矢島さん。いろいろあったね。悔しいこともたくさん言われたよね。馬鹿にされたこと何回もあったね。たくさんの場所に頭を下げに行ったよね。1番迷惑をかけました。

思いつきの僕の妄想を実現に向けて走り続けてくれましたね。最高のコーディネーターでした!!感謝しています。ありがとう。


糸魚川に来て4年半。あっとゆうまでした。

仕事としても、市民活動としても糸魚川の「まちづくり」に関われたこと大変誇りに思います。

支えてくれた仲間たち、関係者の皆様、ほんとうにお世話になりました!!!


あー涙が止まらない(笑)


以上、おわり!!!

本当にありがとうございました。

秘かな願い→今年こそは、おまんた祭りを実施して欲しいなぁ!(矢島さん次第かな?笑)


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